ハラスメント

会社に所属していると、定期的にコンプライアンス教育なるものがあります。

社外取引の適正化、社内パフォーマンス向上のために、従業員の意識を高める環境提供として、教育を実施しております。

その中でも、ハラスメントについては、どのような行為がハラスメントに該当するのか、また該当した場合の相談窓口の周知といった対策の徹底がなされています。


以下、引用文です。

ハラスメント(Harassment)とはいろいろな場面での『嫌がらせ、いじめ』を言います。 その種類は様々ですが、他者に対する発言・行動等が本人の意図には関係なく、相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えることを指します。

パワーハラスメント
→職場での上下関係や権力を利用した嫌がらせ行為

セクシャルハラスメント
→性的な言動によって不利益を受けたり、就業環境が害されたりするハラスメントのこと

モラルハラスメント
→身体的な苦痛ではなく精神的な苦痛を与える嫌がらせ

-以上引用-


引用文の定義を見る限り、相手を前提とした社会における集団生活では、不可避なものばかりであるように思います。

そのため、コンプライアンス教育では、常に決まった結論に収まります。

ハラスメントが発生する原因は、多種多様な考え方や価値観の違いであり、結論は、多様性を尊重しよう、です。

しかし、多様性を尊重したところで、ハラスメントは無くなりはしません。

むしろ、ハラスメントは、言えば言った分だけ増えていくだけです。


例えば、最近、サラリーマンとして働いている中で、ハラスメントに該当する状況を目撃しました。

ある会議で、先輩社員が上司に、社長向けに報告する資料の中身について、相談を行っていました。

その会議の中で、その内容ではアピールにならないから、この内容を入れておいてと、上司が先輩社員に指示をしていました。

その上司は先輩社員に出来るかどうかの確認もなく、また、先輩社員も上司に言われるがまま反論することもありませんでした。

(私であれば、出来るかどうかの見通しが立ってから、資料に盛り込むかどうかの判断をしたいと言っていたと思います。)

結局、その内容の確認も議論も精査もされることなく、資料に盛り込むことになり、先輩社員は上司の提案を呑む形になってしまいました。

2、3ヶ月後には、その内容の進捗確認をされ、先輩社員が焦る事態になることは必至です。 


では何故、このようなことが起きるのでしょうか?

結局は、アピール、です。

先輩社員は上司に、上司は社長に、ただアピールしたいという思いしかありません。

社長からすると、中身の無い報告をされたところで、時間の無駄であり、迷惑でしかなく、アピールハラスメントでしかありません。

欲や階級がある限り、アピールしたいという思いが無くなることはありません。

zer-0-base.hatenablog.com

zer-0-base.hatenablog.com


このように、ハラスメントは言いだすと、際限がありません。

しかも、その対策として多様性を尊重するということは、他者を尊重することであり、いわば、自分自身を軽んじることです。

際限のないハラスメント対策をし続けると、自分自身を見失う恐れがあります。

それにより、メンタルヘルスケアといったうつ病判定により、医療ビジネスへ無駄に医療費を支払うことになります。

zer-0-base.hatenablog.com

とは言え、この世の中は、自分一人で生きていくことは不可能で、他者との関わりは不可避です。


では、自分自身を軽んじることもなく、他者をも尊重しながら生きていく方法はあるのでしょうか?

はい、あります。

RAPTブログにその答えがあります。

それは、神様の御言葉です。

rapt-neo.com

私もかつて、妻と不仲ではありましたが、二人共が、その神様の御言葉に出会い、救われました。

結局、人が人それぞれの考え方や価値観を基準にすると、押しつけあうことになり、それが無駄な争いを生み、ハラスメントにも繋がるわけです。

よって、自分も他者も、人としての各々の基準ではなく、神様の基準に立つことが重要です。

rapt-neo.com

多くの人々が、神様の御言葉に出会い、共通の認識を持つことで、

無駄な争いを生むことなく、自分自身も救われ、他者も救われ、

生きていくことができるようになります。