サラリーマンとして働いていると、保身から責任を取りたくない、取らないでいいよう振る舞う人が大勢います。
以下、引用です。
ほ‐しん【保身】
〘名〙 身の安全を保つこと。自分の地位、名声、安穏を失うまいと身を処すること。
−コトバンクより引用−
会社では、上司は、この地位、名声を守ることを最大限に重視しているものです。
そのため、自らが動いたときの責任を問われかねないよう、ただ言うだけで自らは極力動かないことがあります。
確かに、自ら動かなければ、身の安全は保障されますが、そのしわ寄せは部下に来ることになります。
その時、部下は、この上司はただ言うだけで、何もしない人なんだなと、幻滅することになります。
そう思われた上司には誰も頼らなくなり、近づかなくなり、ゆくゆくは独り浮いた状態になってしまいます。
例えば、前の会社でも、元上司が事あるごとに責任逃れをするという執務態度から、管理職でありながら現場作業に異動となり、事実上の窓際社員となったことがありました。
単純作業をするだけでそこそこの高給を貰うその上司に対し、裏では給料泥棒といった陰口を叩かれたり、一回り以上年下の社員に、仕事の件で誤りを指摘され、何も言い返すことができなかったり、どんどん、肩身の狭い思いをするようになっていきました。
部内の飲み会を開催しても、参加することはなく、会社に働きに来ていても、人目を避けるようにコソコソと仕事をするようになり、独り浮くようになっていきました。
また、政治家や上級国民などは、その保身の最たる例であるように思います。
かつて、贈収賄疑惑のある政治家が、説明責任を果たす国会の証人喚問の場において、記憶にございませんと、反論していた記憶があります。
また、上級国民である池袋暴走事件の飯塚幸三も、裁判の最初のほうでは、ブレーキとアクセルを踏み間違えた記憶は全くないと、反論していました。
【池袋暴走 「踏み間違え」を認定】https://t.co/9XkggOiejH
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) September 2, 2021
池袋暴走事故で飯塚幸三被告を禁錮5年とした東京地裁判決は「ブレーキとアクセルを踏み間違える過失があった」と認定した。被告は「被害者や遺族の気持ちを考えると心苦しい。しかし踏み間違えた記憶は全くない」と訴えていた。
特に、最近の話題では、天皇家の秋篠宮様のお誕生日に合わせて、会見が開かれました。
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— 令和の民の蟹の穴。それはそれ。これはこれ。 (@nisinarisankaku) November 30, 2021
秋篠宮がすることは「反論」でなくて「説明」です 何をはき違えているのだろうか?#Yahooニュースのコメント https://t.co/RPbNaJNCjP
説明責任のあるご身分の方が、反論するための基準作りという、残念な内容であったため、ヤフーのコメント欄に、非難するコメントが溢れかえっています。
保身のための"反論"に呆れかえるしかありません。
政治家も上級国民も天皇家も、そもそも必要がないとしか思えません。
このように、責任をとる身でありながら、保身に走ることばかりでは、周りからの信頼を失い、むしろ身の安全が保障されなくなります。
では、何故、そのようなことになってしまうのでしょうか?
結局は、地位や名誉に対する執着欲です。
しかし、地位や名誉のための保身は、身を滅ぼしかねません。
この点、RAPTブログの記事では、以下のような記事が掲載されておりました。
この記事を読んで、自分自身の心にもしっかり刺さりました。