人生の道標

絶望から希望へ

保身

サラリーマンとして働いていると、保身から責任を取りたくない、取らないでいいよう振る舞う人が大勢います。

zer-0-base.hatenablog.com


以下、引用です。

ほ‐しん【保身】
〘名〙 身の安全を保つこと。自分の地位、名声、安穏を失うまいと身を処すること。

コトバンクより引用−

会社では、上司は、この地位、名声を守ることを最大限に重視しているものです。

そのため、自らが動いたときの責任を問われかねないよう、ただ言うだけで自らは極力動かないことがあります。

確かに、自ら動かなければ、身の安全は保障されますが、そのしわ寄せは部下に来ることになります。

その時、部下は、この上司はただ言うだけで、何もしない人なんだなと、幻滅することになります。

そう思われた上司には誰も頼らなくなり、近づかなくなり、ゆくゆくは独り浮いた状態になってしまいます。


例えば、前の会社でも、元上司が事あるごとに責任逃れをするという執務態度から、管理職でありながら現場作業に異動となり、事実上の窓際社員となったことがありました。

単純作業をするだけでそこそこの高給を貰うその上司に対し、裏では給料泥棒といった陰口を叩かれたり、一回り以上年下の社員に、仕事の件で誤りを指摘され、何も言い返すことができなかったり、どんどん、肩身の狭い思いをするようになっていきました。

部内の飲み会を開催しても、参加することはなく、会社に働きに来ていても、人目を避けるようにコソコソと仕事をするようになり、独り浮くようになっていきました。


また、政治家や上級国民などは、その保身の最たる例であるように思います。

zer-0-base.hatenablog.com

zer-0-base.hatenablog.com

かつて、贈収賄疑惑のある政治家が、説明責任を果たす国会の証人喚問の場において、記憶にございませんと、反論していた記憶があります。

また、上級国民である池袋暴走事件の飯塚幸三も、裁判の最初のほうでは、ブレーキとアクセルを踏み間違えた記憶は全くないと、反論していました。


特に、最近の話題では、天皇家秋篠宮様のお誕生日に合わせて、会見が開かれました。

説明責任のあるご身分の方が、反論するための基準作りという、残念な内容であったため、ヤフーのコメント欄に、非難するコメントが溢れかえっています。

保身のための"反論"に呆れかえるしかありません。

政治家も上級国民も天皇家も、そもそも必要がないとしか思えません。


このように、責任をとる身でありながら、保身に走ることばかりでは、周りからの信頼を失い、むしろ身の安全が保障されなくなります。

では、何故、そのようなことになってしまうのでしょうか?

結局は、地位や名誉に対する執着欲です。

zer-0-base.hatenablog.com

しかし、地位や名誉のための保身は、身を滅ぼしかねません。

この点、RAPTブログの記事では、以下のような記事が掲載されておりました。

rapt-neo.com

この記事を読んで、自分自身の心にもしっかり刺さりました。