プライド
捏造(ねつぞう(慣用読み)、でつぞう)とは、実際になかったことを故意に事実のように仕立て上げること。 「捏」の読み方は古くは「デツ」であるため、でっち上げの語源ともなっている。
−Wikipediaより引用−
この捏造ですが、最初はバレないという前提で、でっちあげはするものの、後で必ずバレるのが定石です。
以前の記事でも掲載しましたように、捏造した後も隠し通せるほど、この世の中は甘くありません。
捏造することで、それまで築き上げてきた信用が、一瞬で崩れ去り、そう簡単に取り戻すことができなくなるということを、肝に命じて置かなければなりません。
そのようなものでありながら、つい先日の会議でも、捏造の現場を目撃してしまいました。
予算の報告会において、とある先輩社員のほうから、分析結果について、自信を持って、報告をされていました。
しかし、その報告内容を聞いたところ、分析結果で用いた数字は、中身の無い捏造したものでした。
すると、部門長のほうから、これをさらに細かくできるのかと質問されていましたが、捏造した数字のため、細かくしようがありません。
聞かれた先輩社員は一気にトーンダウンし、曖昧な答えをし、そのまま差し戻しになるかと思いました。
しかし、運の悪いことに、部門長の判断で報告内容はそのままに、社長への捏造報告という、引くに引けない状態となってしまいました。
このように、数字を捏造し、それが独り歩きしだすと、もう後に引くことができなくなります。
部門長の判断ミスでもありますが、その先輩社員は、今後、見るに堪えない状況になるのは間違いありません。
では、何故、このような捏造が起きてしまうのでしょうか?
ひとえに、プライド、です。
以下、引用です。
プライド
〘名〙 (pride) 自分の才能や個性、また、業績などに自信を持ち、他の人によって、自分の優越性・能力が正当に評価されることを求める気持。また、そのために品位ある態度をくずすまいとすること。誇り。自尊心。自負心。矜持(きょうじ)。
−コトバンクから引用−
結局は、人から認められたい、評価されたいという欲が、心の根深いところにあるわけです。
しかし、過去の記事でも掲載しておりますように、そのような気持ちは、人生において負担にしかなりません。
人から認められ、救われたとしても一時のものでしかありません。
そのような一時のために、全力を注いだところで、無駄なエネルギーです。
但し、そのようなプライドを持つと、中々捨てることができません。
年を重ねれば重ねるほど、そのような傾向にあります。
しかし、プライドを捨てなければ、本当の意味での幸福を得ることは不可能です。
その点、RAPTブログにおいては、このように記事が掲載されております。
その記事の中では、下記のように書かれております。
日本人は根拠のないプライドを持たない人種であると、
自分で自分を誇りに思うことがないからこそ、落胆したり、自分を攻めたりすると、
ただ、それは良心が強いからで、だからこそ、平素でも当り前のようにマナーを守るのだと。
だからこそ、街はいつもきれいで安全なのだと。
プライドを持ち、良心を無くすと、心は薄汚れ、不安しかありません。
余計なプライドを捨て、欲望を捨て、良心を守り、心の平安を保つこと、
それが大切なことです。