無駄
調整とは、調子を整えたり、ものごとの過不足などに手を加えて、つり合いのとれた状態、正しい状態にしたりすること。
-コトバンクから引用-
サラリーマンをしていると、調整業務なるものが多々発生します。
社内においては、上司と部下間、部下と部下間での調整であったり、社外においては、顧客と会社との調整があります。
では、何故、ものごとが過不足になったり、不釣り合いの状態になり、調整業務が発生するのでしょうか?
その主たる原因は、コミュニケーション不足、によるものです。
役割や立場、相性、価値観によって、コミュニケーションの過不足や不釣り合いが発生してくるわけです。
私はかつて在庫管理の仕事をしていましたが、営業と製造の間に挟まれて、大変な思いをしました。
営業は、お客さんから、依頼がきているから、今すぐ生産に回してくれと言います。
一方、製造は、ラインの都合があるから、そう簡単にはできない、と言います。
その間で、私が調整役として業務を行っていました。
営業は生産しろと言い、製造は生産できないと言っている中で、なかなか折り合いが付きません。
私を経由しやり取りする中で、直接相手に言えないことを、何故か私に対する怒りの感情として吐き出されることも多々ありました。
そのようなやり取りを何度か経て、どちらかが折れては収束し、折り合いをつけていた状況でした。
営業と製造の間で、緩衝材と言う名のサンドバックのような状態となっていました。
しかし、その業務、本当に必要だったのか、今でも疑問に思います。
何故なら、営業と製造で直接、話をつけてもらえれば、私がその結果を受けて、私のやるべきことをやれば、本来それでいいわけです。
にも関わらず、わざわざ間に入って、それぞれの立場をつなぐ役割をしたところで、最終的な判断を下す材料も持ち合わせていません。
結局、仕事のやった体を装う、ただのパフォーマンスでしかなく、無駄な仕事であったと思います。
そのため、私が前任者より、仕事を引き継いで以降、そのような調整業務の一部を、営業と製造で直接やり取りしてもらうようにし、随分と気が楽になりました。
この調整業務の良くないところは、直接的な当事者でもないにも関わらず、第三者的に怒られる仕事であるというところです。
かつて、怒られるのもサラリーマンの仕事という先輩社員がいましたが、それこそ、会社に洗脳されてるなーとしか思えませんでした。
営業が顧客から怒られる、部下が上司から怒られる、上司が社長から怒られる、というように、下の立場であればあるほど、怒られることが、無意味にまかり通っているわけです。
会社では、このように、無意味に無駄に時間を費やす業務が、多数存在します。
他人と他人との間に入って調整する業務に価値があると思いますか?
そのような無意味な時間を無駄に費やして、人として成長することができると思いますか?
会社組織に洗脳されるがまま、言われるがままに無思考でいると、自分の人生の幸福の時間を逃すことになります。
無駄な時間を削ぎ落とし、無駄な考えを削ぎ落とし、価値ある時間に投資することが大切です。
時間の価値をより意識することが大切なことです。
RAPTブログにおいては、無駄、についても多数の記事が掲載されています。
サタンは、私たちの時間を奪おうと様々な攻撃を仕掛けてくる、
私たちのやる気を削いだり、怠惰にさせたり、あるいは神様とは関係のない仕事で忙しくさせる、
私たちが主の御心を成すことができないように仕向けていく、
この世で成功した人たちも、時間を無駄にすることなく、全ての時間を有効に使ったからこそ成功した、
一日一日を決して無駄に過ごすことなく、常に主にとって有益となる時間を過ごして、主の御心を壮大に成していくこと、等々。
無駄な時間を削ぎ落とし、
無駄な考えを削ぎ落とし、
神様にとって、
有益となる時間を過ごすこと、
これが大切なことです。