コロナ禍になり、働き方のメインが在宅勤務になり、早くも1年半を経過した筆者です。
今でもたまに、出社する時には、パジャマからスーツに着替え、髭を剃り、身だしなみを整え、マスクをして、出勤しています。
しかし、在宅勤務になり、家で仕事をするようになると、スーツを着ることに違和感を感じます。
何故なら、窮屈なスーツを着るより、私服のほうがリラックスでき、仕事の効率も良いからです。
では何故、出社するときは、スーツを着て、身だしなみを整える必要があるのでしょうか?
結局のところ、集団や組織における同調意識を植え付けるため、です。
つまり、同じ集団、組織に所属するからには、同じ身なりをして、同じ意識であれという植え付けです。
そのルーツを辿ると、学校教育の制服に遡ります。
すなわち、学校教育の制服の延長線上にあるのが、社会におけるスーツというわけです。
つまり、スーツという制服により、その人の意識を征服しているわけです。
今回のコロナ禍において、コロナワクチンを打つことを、他人にも強制することとして、同調圧力なる言葉が生まれました。
元々は、それも学校教育という場における、同調意識が生んだ結果でしかありません。
現に私の周りでも、この同調圧力に屈し、コロナワクチンを接種した人が大勢います。
ただ、そのような同調圧力が理由でワクチンを打ち、後悔している人も大勢います。
そして今では「コロナ後遺症」よりも「ワクチン後遺症」で医療機関を受診する人がたくさんいるのです。
— かふぇおれ (@ilvcoffee454545) October 31, 2021
更には「ワクチン打て」と言う同調圧力によって精神を病む人も増えているのです。
おかしなコロナ対策のせいで自殺者も増えました。
それでもなぜ打たなければいけないのですか?
私の場合も、周囲の人達から、コロナワクチンを打つと言われてきました。
しかし、既に在宅勤務でスーツという征服意識から逃れることができていたこともあり、同調圧力に屈することもなく、ワクチンを回避することができました。
また、3回目の職域接種が予定されておりますが、当然のように、ワクチンを打つ気はありません。
このように、多くの人々が、征服意識から解放されるために、
RAPTブログ、RAPT理論+α、といった真実の情報に辿り着き、
正しい判断を行うことができるようにすること、
それが大切なことです。