優越感、劣等感
私の子供がまだ幼かった頃、ストライダーというものが流行っていました。
私も子供向けに購入し、週末になると、ストライダーを持って、子供と一緒に公園へ遊びに行くことが日課になっていました。
そこまでは良かったのですが、ある時、そのストライダーによるレースがあるという情報をキャッチしました。
ちょっとした思い出作りと思い、旅行を兼ねてレースへの参加を申し込みました。
レースに参加すると、他の親御さんが、ストライダーに、様々なパーツをカスタマイズしていました。
そのカスタマイズを見て、男親としての改造心に火がつき、家に帰ってから様々なパーツを購入し、カスタマイズしていきました。
そして、いざ、レースに参加してはみたものの、そう簡単に勝つことはできませんでした。
ただ、レースに参加した中で、ストライダーのチームがあるという情報をキャッチし、チームへ参加することにしました。
チームへ参加し、自分のチームや他のチームの練習会へ参加し、さらなるレースへの参加、さらなるカスタマイズと、どんどんのめり込むようになっていきました。
あくまで、子供が主役のレースとは言え、親の力の入れ込み具合が強く、親のレースをも兼ねているような考えになっていきます。
親は子供を勝たせてあげたい、自分が勝ちたい一心で、レースで勝つため、高価なパーツを購入し、浪費をしていきます。
また、チームや練習会の集まりへ参加しては、レースに勝つことが、子供の今後の成長に繋がるとの洗脳に陥ります。
そして、幼い子供に檄を飛ばし、練習することを強要するようになります。
そのような背景もあって、自分の子供がレースで勝てたときは嬉しいものの、自分の子供が負けたときは苛立ち、子供に八つ当たりをするということを繰り返します。
特に、勝てる子供は一握りであるため、大半の親御さんがそのような状況に陥っていきます。
レースであるが故に、勝ち負けがつき、競争心を駆り立てられるわけです。
では、何故、このようなことが起きるのでしょうか?
結局は、子供を利用した大人の競争心を煽るビジネスでしかありません。
自分の子供が勝てば優越感に浸り、負ければ劣等感に苛まれ、より競争心を煽られてしまうわけです。
そして、レースを開催すれば人が集まり、人が集まればパーツを購入し、希少価値のあるパーツの値段は高騰するという、一大市場が成り立つわけです。
しかし、全ての子供は自らやりたくてやっているわけではなく、あくまで親の喜ぶ顔が見たい一心であったように思います。
子供にそのようなことを強いておきながら、親の独りよがりに子供を付き合わせ、今となっては、ただただ反省の念しかありません。
以降、反省し、子供に親の思いを無理強いしないよう、努めるようになりました。
RAPTブログの有料記事では、この優越感、劣等感について、下記のような記事が掲載されていました。
その記事の中からの抜粋が、下記のようになります。
サタンは、自分たちの教えに従う者に誇りや優越感を抱かせることで、続けてサタンの教えに従うように仕向けていく。
神様を信じる私たちは、見栄や欲望のためではなく、すべてを愛のために行わなければなりません。
そうしてこそ、私たちの心の中は真の喜びと平安に満たされるようになり、主からも大きく祝福されることになる。
-以上、抜粋-
つまり、優越感や劣等感という感情は、悪魔的な感情であるということです。
見栄や欲望を捨てることで、そのような感情を捨てさり、心の平安を得ることができるということです。
私自身、もう少し早くこの御言葉に出会っていれば、感情に心を乱されることも無かったのだろうなと思います。
今後はこの御言葉を心に刻み、余計な感情を持つことの無いよう、肝に命じて生きます。