人生の道標

絶望から希望へ

テレビ

私がまだ小学生のころ、テレビはブラウン管テレビでした。

 

手動でカチャカチャ、チャンネルを回し、たまに画像が乱れれば、叩けば直る、そのような代物でした。

 

その時の使用用途と言えば、任天堂ファミコンをつなげ、ゲームを行うための媒体でした。

 

(朝6時からゲームをしては、父親の怒りを買い、ファミコンと我が身を外に出され、雨の降りしきる公園のブランコで一人寂しく反省し、行くところなく、恐る恐る家へ帰っていったことを思い出します。)

 

その後、その三種の神器の一つは、リモコンがつき、薄くなったりと、さらに進化し、しかも、我が家の場合、一人に一台と、テレビ好きの父親のテレビ愛は止まりません。

 

(現代のスマホのような状況ですね。)

 

幼くしてゲームという選択肢を失った私は、テレビ番組を見るようになりました。

 

バラエティ、音楽、ドラマ、ドキュメンタリー、ニュース、報道と、成長と共に見る番組も変わっていきました。

 

高校卒業後の浪人時代は、ニュースや報道を見ては、腐敗した政治に対し、怒りを持つようになっていきました。

 

社会人になっても、会社の同僚との話題において乗り遅れないよう、日々のニュースのチェックは欠かせませんでした。

 

テレビの情報は、生活していくために必須である、それがかつての認識でした。

 

ですが、今はこのような認識です。

 

テレビは嘘が混ざりこんでおり、偏った情報を伝えている、ということです。

 

このコロナ禍においては、

 

・緊急事態宣言を発令することで、コロナの危険性をあるものと認識させる。

 

・コロナの危険性を認識させるために、医療が逼迫していることを伝える。

 

・医療が逼迫していることを伝えることで、ワクチン接種を進めることが正であるかのように伝える。

 

テレビでは、コロナの危険性は伝えても、ワクチンの危険性は全くと言っていいほど伝えません。

 

何故でしょうか?

 

ワクチン接種という目的のためには、ワクチンの副反応という情報は、余計な情報であるからです。

 

現に、ワクチンの副反応で亡くなられている方々が、厚生労働省の現時点での情報で、1300人を超えています。

 

かつて、どこかのスーパーのパンに針が入っており、1人2人の危険があったなら、そのパンは全回収していました。

 

では、何故、ワクチンは1300人超も無くなっているのに、全回収しないのでしょうか?

 

何故、3回目の接種を進めようとしているのでしょうか?

 

すなわち、テレビが、政府の意向に偏り過ぎており、政府の目的に叶う報道を行っていることは明らかです。

 

目的のためには手段を選ばない、例え、その手段が嘘であったとしても、目的を達成することのほうが大事だということです。

 

会社でサラリーマンをしていると、上役の人達が揃えて口にする言葉が、アピールです。

 

アピールのネタが無いかと、上司は部下に求め、求められた部下は、上司からの承認欲求を得ようとせんがためか、同調圧力からか、中身のないものであったとしても、あたかもあるかのようにアピールしています。

 

中身が詰まっているほうが当然良いですが、中身が空っぽであったとしても、外面さえ整っていれば良い、つまり、中身が嘘であったとしても、外面さえ本当のようであれば良い、ということです。

 

部下は上司に求められ、上司は社長に求められ、社長は株主や投資家に求められる、承認欲求や同調圧力の流れに陥り、最終的には、自分で自分の首を絞めることに繋がることを認識できぬまま、後になって、不安と苦悩の中で生活しているような状況です。

 

結局、いつか嘘は真実によって、明らかにされるからです。

 

このように、テレビも政府へのアピールをしているのでしょうが、最終的に大事なことは何が真実か、何が嘘か、テレビは真実を本当に伝えているのか、ということです。

 

私はRAPT理論を知り、真実を知ったことで、嘘に塗れたテレビを見ることを止めました。

 

テレビには、正真正銘の真実を語って頂き、視聴者を誘導、洗脳するような報道を控えなければ、後で大きなしっぺ返しが来るように思います。

 

大切なことは、嘘と真実を見極める目を持ち、嘘に振り回されないで、真実をもって判断することです。

 

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