さよなら会社

翌朝、部門長は、ほとんど来ることの無い、部門の朝礼に参加しにきました。

 

私が退職する旨、情報共有するためです。

 

司会担当から、本日の朝礼を始めます、といい、朝礼が始まりました。

 

部門長のほうから何かありますか?、と司会。

 

えー非常に残念なことに、今月末を持ちまして、Zくんが退職することになりました、と部門長。

 

(一瞬で、朝礼の空気が凍り付きました。)

 

まだ、正式には公になっていないため、他言しないようお願いします、と部門長。

 

今後は、引継ぎについて、マネージャーからの指示に従い、進めていくように、と部門長。

 

元々、後には引くつもりはありませんでしたが、部門内に共有されたことで、完全に、前へ進む道が切り開かれ、また、前に進むしかないことを認識しました。

 

(転職先の内定が出て、退職願を出すまでが、一番、心苦しかった記憶があります。)

 

そして、退職までの残された1ヵ月という期間での引継ぎが始まりました。

 

しかし、業務の内容が、工場の流れをコントロールする、工場の司令塔です。

 

元々、一人で行っていること自体が、不可思議な業務であるため、1ヵ月という期間は、あまりにも短く、完璧に引き継ぐこと自体が不可能に近いものでした。

 

最低限の伝票処理のルール、最低限の計画策定方法、最低限の他部門対応方法といった、最低限のことだけを引き継ぎました。

 

そもそも、仕事とは、それを行う人の、考え方や発想力次第で、縦横無尽に変化させていったほうが、それを担当する人も活かされるという考えがあり、必要最低限を引き継いでいきました。

 

また、その一ヶ月の間においては、業務以外においても、様々なことがありました。

 

私よりも早く転職が決まった、戦友Sさんの、その会社における最後の日を見届けました。

 

お先に、と言い、爽やかにすっきりとした表情で去っていったSさんは、今まで見た中で、一番良い表情をされていました。

 

憑き物が落ちたとは、まさにこのようなことを言うのだろうと思いました。

 

(悪なる会社組織から脱出し、転職先に行く前までの、自由を勝ち取ったわけです。)

 

また、他言無用といった部門長の言葉を無視し、私が退職することが工場内で共有され、私の耳に入ってこない範囲で拡散していきました。

 

私は退職する話を、そのときに話している人には言いませんが、その話している人は、私が退職することを知っている。

 

知っているけれど、腫れ物に触れるようなことになることを恐れてか、結局は、何も触れてこない、と言った場面が、しょっちゅうありました。

 

一方、私がかつて、働いていた現場で、一緒に仕事していた派遣や契約社員の方々からは、よくぞ決断した、とか、Zくんならどこへ行っても大丈夫、とか、応援や励ましのメッセージを多く頂きました。

 

また一方、かつての上司からは個室に呼び出され、Zくんの仕事ぶりはZくんにしかできない、とか、Zくんは冷遇されていたからなー、とか、自分もZくんの今後の人生に責任を持てないからなー、とか、やっぱり新しいところで一からは大変だろうなーとか、今更、どうでも良い話をされることもありました。

 

(個室を出てから、転職先があまりにブラックで泣いて戻ってくることになるかもしれないですねーと、軽く皮肉を言った記憶があります。)

 

結局、決めたのは自分自身で、責任は自分自身にあり、周りからの意見は、そのときの私にとっては、もはや雑音でしかなく、正直、自分の自由な時間を奪わないでほしい、くらいの感覚でしかありませんでした。

 

そうこうしている内に、最終出社日を迎えました。

 

戦友かつ先人のSさんの最終出社日を見ていた通り、自分自身も爽やかで晴れやかな気持ちになっていました。

 

ついに、この会社に帰属した生活が終わるなー、と思いつつ、最後のご挨拶のメールを送る準備に入りました。

 

まず、宛先から着手したところ、思っていた以上に、その会社での関わりが多いことを実感しました。

 

この人とはこんなやり取りしたっけなー、とか、この人とは言い争ったこともあったなー、とか、この人からはいろんなことを学んだなー、とか、10年以上にも渡る様々な想いが、頭の中を駆け巡りました。

 

そのような状況で、あっという間に時間が過ぎ、退社時間が目前に迫ってきていました。

 

文面を考えるだけの残り時間の猶予はなく、文面は、ネット検索で、それっぽい文章をコピー&ペーストしました。

 

(普段、私が使わない書体になっていたため、わかる人には最後の最後での手抜きを知られてしまったかもしれません。)

 

メールを送り、少しすると、各所から、私の内線番号に電話がかかってきました。

 

Zさん、辞めちゃうんですか?また、機会があったら、是非お話聞かせてほしいです、そんなやり取りが大半でした。

 

そのような応対も、程よく打ち切り、席を立ちあがり、帰ろうとしたときに、そのときにフロアーにいた人達が、全員立ち上がりました。

 

自分が何かを言わないと、この場は収まらない(=帰ることができない)のだろうと思い、一言。

 

それでは、皆さん、これまで、本当にありがとうございました、皆さん、悔いの無い人生を送ることができますよう、と。

 

そして、帰ろうとすると、LINE交換が始まりました。

 

LINE交換が終わり、フロアーを出て帰ろうとしたところ、同じフロアーで気の合った同僚社員に、ロッカーへ向かう道中で会いました。

 

ロッカーで着替え、その同僚社員から、駅まで送っていくよ、と。

 

んじゃ、よろしくー、と私。

 

同僚社員の自家用車の止まる駐車場へ向かう道中、思い出話を語り合いながら、会社を後にしました。

 

以降は、1週間ほど、社会における働くことから解放され、自由な時間を過ごしました。