多様性、不条理

程なくして、私は現場での業務につくことになりました。


朝から晩まで、気持ちの良い汗をかき、食べるご飯が何倍にもおいしくなりました。


(事務仕事のときに、かく汗と言えば、冷や汗ばかりでした。。)


社会人になってから、ここまで気持ちよく働いたのは、初めての経験でした。


また同時に、現場作業の大変さも味わいました。


現場であるが故の命の危険、危険であるが故の現場作業員の真剣さ、レベルの高さ、繰り返し作業とは言え、一瞬も気が抜けない状況は、それまでの本社や事務業務をしてきた私に、ある種のカルチャーショックを与えました。


(事務業務をしていたときの自分は、その当時の先輩社員からも、そこでやっている仕事がいかに難しく大変であるかと思わせられていただけで、実際は、もっと世界は広かったということです)


環境面においては、現場は、夏は暑く冬は寒い、本社の事務所は、夏は涼しく冬は暖かい。


時の流れにおいては、現場は、時間に追われ、人に追われ、時の流れが早い、本社はゆったりとしており、時の流れは非常に遅い。


そのような状況であるにも関わらず、現場で働いている社員は、本社で働く社員よりも、評価がされない状況でした。


(奇しくも、私も工場へ転勤になったことが、その後の評価や出世に、実は影響をもたらしていたとは、この時は全く知る由もありませんでした)


しかも、現場では、社員だけではなく、派遣や契約社員も働いており、働く雇用形態も、多様多様でした。


(昨今は、ダイバーシティという名の多種多様が叫ばれておりますが、それも特定の範囲でしかないように思えます。)


そのような状況では、会社経験の浅い社員よりも、多くの会社経験のある派遣や契約社員のほうが、仕事ができるという状況も発生していました。


そのため、給料は良いけど、仕事ができない社員を、疎ましく思う派遣や契約社員もいました。


(私も最初はそのように思われ、派遣や契約社員の方と時にぶつかり合いながら、自分なりに藻掻いた結果、認められるようになり、血気盛んな現場作業員にも認められるようになりました。)


その中で、契約社員で、社員になれるという話で、業務を行っている方もいらっしゃいました。


当時、私と一緒にお仕事していた契約社員(仮称:Gさん)が、まさにそのような方でした。


Gさんとは、仕事のやり方でぶつかることもありながらも、親切、丁寧に仕事を教えて頂きました。


とある時、Gさんが待遇面において、上司と話し合いを持つことになりました。


その当時の上司は、Gさんに対し、会社の試験に合格すれば社員になれるけど、試験自体難しいから止めておいたほうがいいよ、と伝えたとのことです。


(ちなみに、Gさんは、結婚し、お子さんもおり、それなりの収入は確保したいというふうに考えており、契約社員の収入がいかほどのものであったかということが推察できます。)


Gさんは、試験を受けたものの、試験内容自体のレベルが高く、全くできなかった、と嘆いていました。


Gさんからすると、数年間、社員になれるという話を信じ、それまで業務を続けてきたものの、上司が変わったことで、社員になれるという話自体も、試験に合格すればという条件つきに変更になり、その試験を受けた結果が全く振るわなかったわけです。


結局は、騙され、良いように使われ、最終的に梯子を外されたわけです。


(会社で働くこと自体、奴隷、社畜以外の何物でもありません。。)


そのタイミングで悪いことに、Gさんを別のお仕事に異動させる話が出てきました。


(今、思うと、試験を受ける話をつけてきたが、合格できなかったGさんに対する、上司の当てつけであったように思います。)


Gさんからすると、社員の待遇にもならない、その上で、当てつけであったかのように、仕事を異動させられるということに、全く納得がいかないようでした。


そのような状況ではあるものの、上司は、Gさんが納得いかないことはさておき、異動の話を進めていきました。


異動の話が公式になると、Gさんは、新たな職場を探すため、会社に来なくなりました。


出社しては、私と話しをしつつも、何でこんなことにと、涙を流していました。


私も、そのような話を聞くと、また、Gさんのご家族のことを思うと、胸がギュッと苦しくなりました。


ほどなくして、Gさんは会社を去ることになりました。


最後に、後任の人に、Zくんのこと宜しくって、言っておいたから大丈夫、と私に伝えました。


そのようにしてくれたGさんに対し、社員でありながらも何もできない自分が歯がゆく、ただただ申し訳ない気持ちだけが残りました。


人を利用しては吸い尽くす、会社のシステムに、嫌気がさしました。


不条理、理不尽、そのように思いつつも、そのような状況を変えるためには、どのようにすれば良いのか。


これまで、何年にも渡り、構築されてきたそのシステムを変えること自体への、不可抗力の意識の定着。


そのときの自分には、何をどのようにすれば良いのかの答えはわかりませんでした。


そうこうしている内に、次は、自分自身がそのシステムに苦しめられることになります。