虚しさ、旅立ち

役員より、人事の奴らも頑なだったけど、やっと折れたなー、と。

 

ん?何の話をされてるんですか?、と私。

 

あれ?何も聞いてないの?、と役員。

 

いえ、何も、と私。

 

Kの異動決まったから、と役員。

 

んん??えー?!、と心の中で叫んだものの、表向きには無言の私、内心はドキドキしていました。

 

Kはやり過ぎた、本社内にて監視下に置くことを決定した、と役員。

 

Kさんの、工場本部内部での工作の証拠が、工場でKさんを働かせることを、不適格であると判断させたとのことだった。

 

また、役員から、この件で、動いてくれた人の名前を教えてほしい、社長が感謝したいと言われているとのことだった。

 

対し、私が断ろうとした瞬間、役員から、社長には絶対に名前を言わない、俺は言わないと言ったら、絶対に言わない、とそう言われました。

 

私自身、この件で感謝されたかったわけでもなく、Sさんが救われればとの思いが強かったため、Kさんの異動の話だけで十分で、役員の方も私の今後を考えての、結論であったように思います。

 

その後も、裁きのような役員の采配は続き、工場の上役や人事サイドへの、異動が発令されました。

 

私は、安堵と共に、何か虚しい気持ちになりました。

 

Sさんは、最初は大いに喜んでいましたが、最終的には、終わったけど、何か疲れたなーと、言っていました。

 

こんなことをしなければならない、このような行動を取らせてしまう、会社の状態って異常じゃない?、とSさん。

 

私も同じような気持ちでした。

 

ほどなくして、Kさんが異動になるとの、内示が出ましたが、部署内で引き継ぐことは全くと言っていいほど、ありませんでした。

 

結局は、工場本部の上役にこき使われるだけ使われていただけに過ぎなかったわけです。

 

そして、今回の件により、Kさんにはもう利用価値が無いと判断した、工場の上役達は、徐々にKさんと距離を置くようになりました。

 

それが、Kさんの工場における実態でした。

 

会社も所詮は、組織である以上、出世欲、権力欲を満たすことが、正義であることを掲げています。

 

また、その掲げた旗に集まる者達を正義とし、その旗からふるい落とされた者達は、落ちこぼれのように扱われます。

 

結局、Kさんは利用されるだけ利用され、要らなくなったからポイ捨てされたわけです。

 

確かに、人を蹴落としてまで、自分の立ち位置を守ろうとしてきた、Kさんは許されるべきではありません。

 

しかし、根本的に、その組織の考え方に傾倒しなければ、生活していくことができない、また、そのように思い込まされるような、そもそもの会社のシステムに大きな違和感を感じました。

 

(会社以外にも大きな問題があることを、この時は、まだ知る由もありませんでした)

 

そして、Kさんの工場での最終出社日を迎えました。

 

午前中から、工場の各部門へ廻っては挨拶をし、午後になっても挨拶周り、夕方になり自席に戻ってきたかと思いきや、Kさんは早々に帰ろうと鞄を持ち、フロアーの出口へ向かっていきました。

 

私は、フロアーの出口付近まで小走りに行き、Kさんを呼び止め、お世話になりました、と伝えました。

 

Kさんは、おう、とだけ言い、旅立っていきました。

 

しかし、この件の余韻はまだ残るところになります。

 

その後、Sさんと私は、心機一転、部署の業務に取り組んでいきました。

 

Kさんがいた時は当たり前のように発生していた、不要なペーパー、休日出勤、繁忙月80時間の残業時間削減を目標に、それまで溜めに溜めていた改善案を実施していきました。

 

(Kさんがいた当時の部門長に、Kさんがいると改善に対し抵抗してくるため進まない旨、伝えた時に、今は溜めておけと言われたものが、鬱憤のごとく溜まっていました。)

 

あれよあれよと改善は進み、1年後には、休日出勤はゼロ、繁忙月の残業時間は10時間程度、無駄に出力していたペーパーも削減されていきました。

 

しかし、そのような成果を上げても、Kさんの件は、工場本部の上役には傷となって残っており、私達が評価されることはありませんでした。

 

(まー、愛社精神を持って、会社のためにという考え方を、後に青臭いと思うようになりましたが。。)

 

やればやるほど、そのときの私達は満足しても、会社への評価を求めると、やる気がなくなっていく、そのような悪循環にさらされながらも、無我夢中で、駆け抜けていきました。

 

(そもそも、評価とは幻想で、見せ方次第、ゴマのすり方次第、というのが、これまでの歴史が物語っています。)

 

結局は、自分達が満足できるかどうか、自分達の歩を進める原動力は、その思いだけでした。

 

Kさんがいなくなって、2年が経ち、その部署での仕組みが完成に近づいてきたところで、私に異動の話が出てきました。

 

工場の現場への異動です。

 

かねてより、私は、事務作業に飽きを感じており、もうちょっと動き回れる仕事がしたいと思っていました。

 

(人間も、うごくものと書いて、動物ですから。)

 

その希望を、当時の上司が酌んでくれた結果でしたが、その選択が、私を楽しませる部分と苦痛に思わせる部分を与えることになります。

 

Kさんの件により、私と共に千人力万人力の力を発揮し、まさに戦友にまでなったSさんには感謝しかありません。

 

ただ、黙ってみていればいいわけではない、戦うべき時にこそ、戦わなければ、何もしていない傍観者と同じだ、戦え。

 

(似たような時期に、工場のとある部門長の口癖が、別に(戦ったところで)死ぬわけじゃないし、という言葉を思い出しました。)

 

まさに、戦うことの重要性を学ばせて頂いた期間になります。

 

その後、Sさんを含む、同僚に業務を引き継ぎ、私は現場へ旅立ちました。