サラリーマンをしていると、様々な飲み会の席があります。
異動のときの歓送迎会、年末の忘年会、年明けの新年会と年に複数回はあります。
しかし、コロナ禍において、コロナウィルス感染症対策として3密回避の目的で、ありとあらゆる飲み会が開催されなくなりました。
かつて、私が新卒で会社に入社した頃は、忘年会で新人芸をやったり、幹事を務めた忘年会では、日程調整や店の下見、ビンゴゲームの企画を行いました。
また、それらの行事以外にも、飲みュニケーションと言う謳い文句から、会社から補助が出たり、上司からのお誘いで飲みに行ったりと、飲み会自体が奨励されていました。
しかし、飲み会の席での、上司への在り来りな社交辞令や愛想笑いが、ただただ面倒であり、その場にいること自体が、偽りの自分を作る場でしかありませんでした。
上司は飲んでストレスを解消したとしても、部下はそのような様を装うだけで、むしろストレスは蓄積されていくばかりでした。
しかも、お酒が弱い人だと、悪酔い、二日酔いで、翌日の予定の実行もままならず、キャンセルせざるを得なくなったりと、さらに無駄な時間の浪費を生む要因にもなります。
結局、会社の上流階級のために、下流階級の人達が接待するような飲み会をしたところで、この上なく無駄な時間でしかないわけです。
では、何故、そのような飲み会を、会社は奨励するのでしょうか?
すなわち、仲間意識の刷り込みによる洗脳、です。
会社で働く上での、痛みやストレスを分かち合い共有し、同じ仲間であるから頑張ろうという、意識を刷り込むためです。
それを裏付けるように、転職をしたことで、前の会社で飲みに行ったほぼすべての人達と、それまでの人間関係がぷっつんと切れました。
同じ会社内であるからこその仲間意識であり、会社を辞めてしまえば、仲間ではなく、ちょっと知った知人でしかないということです。
また、このような意識の刷り込みは、以前の報道という記事でも掲載したように、諦めの同調意識を植え付けることが狙いです。
現に、私はかつての上司との面談のときに、下記のように言われました。
どこの会社へ行っても変わらない、むしろ、他の会社に行くと人間関係も最初からになるから大変、だから辞めないほうがいいと。
それによって、諦めるしかないという意識を植え付けるわけです。
そのため、多くのサラリーマンが、その仲間意識からくる惰性や、その集団への依存に洗脳され、会社を辞める決断を中々できないというのが、今の実態です。
確かに、仲間意識を持ち、協力することは大事です。
しかし、惰性や依存によって、その会社で働き続けても、成長もなく自分自身を失い、生きている心地もしなくなります。
そうなると、それは、幸せに生きているつもリーマンへの道でしかありません。
その道は自分自身が救われる道ではありません。
この救いの道に関して、RAPTブログでは、下記のように記事が掲載されております。
以下、記事のタイトルの抜粋になります。
・罪を悔い改めて心を清めた人は、主のように人類を愛し、彼らを救いたいという熱い思いが燃えたぎるようになる。そして、そのような人こそ聖霊の恵みを爆発的に受けて、大きな救いの働きを成すようになる。
・御言葉を聞いて人生が変わった人は、自分を変える力を持っている人だから、同じように他人を変えることができる。主の救いの歴史は、そのように自分を変えた人を通して成されていく。
・人類の救いのために命がけで生きる者が、完全な救いを受けることができる。
・人類の救いのために熱く祈って実践する人に、主が強力に共にし、恵みと祝福を与え、この地を統治する力と権能を与えてくださる。
-抜粋終わり-
つまり、罪を悔い改めて心を清め、人類の救いのために祈って、聖霊の恵みを爆発的に受けて、救いを受けることができる、ということです。
働く上での惰性や会社への依存から解放されるよう、私もそのように実践していきます。