報道
最近、テレビの報道番組を見て、非常に違和感を感じたことがあります。
司会者がいて、テーマと課題があって、コメンテーターや評論家、芸人がコメントをし、議論をしていました。
そのテーマの終盤に差し掛かり、司会者がどのように話を纏めるのかと思いきや、最終的な結論はなく、困ったものですと言わんばかりのため息と共に、締め括っているだけでした。
つまり、コメンテーターや評論家、芸人の言ったコメントは、ただ言っただけ、のもので、その課題を解決するための、価値あるコメントでは無かったということです。
そのコメントをした人が、具体的なアクションを起こすわけでもなく、ただ言っただけのパフォーマンス、なわけです。
先日、会議について、記事を出しましたが、その会議と全く同じ状況です。
何も決まらない、何のアクションにも繋がらない、無駄な会議と同じです。
そのような無駄な会議を、公共の電波を使ってテレビで流し、視聴者に見せている、というわけです。
報道番組が行っていることは、視聴者の共感を得られそうなことを、ただ言うだけで、視聴率を稼ぎ、自らの稼ぎ、利益に繋げているに過ぎません。
それを裏付けるように、視聴者からの質問に答えると言っておきながら、台本通りに報道番組を行っていたことが、発覚しました。
テレビ朝日「大下容子ワイド!スクランブル」不適切演出で謝罪 視聴者質問を番組が用意https://t.co/yBaApxcAEg
— ドクダミ茶 (@dokudamicl60) October 21, 2021
やらせ、今さら驚かないけど。視聴者の質問、意見、感想、台本通りwww
報道番組においても、番組を台本通りに"造っている"ことが表面化されたわけですが、これも氷山の一角に過ぎません。
バラエティやエンタメ、ドラマと同じように、報道番組も真実ではなく、虚構を視聴者に見せているということです。
では、何のために、そのような虚構の報道を、視聴者に見せているのでしょうか?
すなわち、視聴者のガス抜きと、意識への刷り込み、いわゆる、洗脳です。
あるテーマ、課題に対し、視聴者が思うようなことを、コメンテーターが台本通りに言います。
すると、そのコメントを聞いていた視聴者は、その通りと、自分が言ってやったような気持ちになり、ストレスの解消に繋がるのです。
ストレスとして吐き出されれば、視聴者が持った問題意識や危機感は薄れ、行動をしなくなるというわけです。
また、視聴者に、この世の中とはその程度のものと、意識付ける狙いもあります。
上述しましたように、報道番組の司会者の、あるテーマ、課題に対する最後の締め括りが、台本通りのため息です。
つまり、諦めの同調意識、を植え付ける狙いがあります。
具体的な対策が無い、どうしようもない、諦めるしかないという意識を、視聴者に刷り込んでいるわけです。
問題意識を煽っておき、同調しておきながら、最後は諦めろと言う番組を、見る価値はあるでしょうか?
そのような報道バラエティ番組があると、報道番組の価値も下がる一方です。
また、昨今起きた京王線の事件も、捏造です。
問題意識を煽り、最後は監視社会にするから諦めろと言わんばかりに、"造られた"事件です。
事件により番組を捏造し、視聴者を洗脳し、視聴者を諦めの檻に閉じ込めようとしているに過ぎません。
このように、虚構と嘘と捏造に塗れたテレビを見て、無駄な時間を費やすくらいであれば、テレビなど見ないほうが賢明です。
真実の報道をしているRAPT理論+αこそ、見る価値があります。
RAPTブログにより、この世の真実を知り、
問題意識を持ち、行動すること、諦めないこと、
この世の中は変えることができることを知り、
希望を持つことが大切です。