サラリーマンとして、仕事をしていると、役割分担というものがあります。
以下、その引用文になります。
「役割分担」という表現は、「ある集団・組織・社会において、果たすことが期待されている役目・任務などの負担を分け合うこと」を意味しています。
「役割分担」というのは、「ある集団(組織・仲間)に所属しているそれぞれのメンバーに、遂行すべき役目・仕事を分けて受け持たせること」を意味している表現なのです。
-「役割分担」の意味とは!類語や例文など詳しく解釈 | Meaning-Bookより抜粋-
しかし、その役割分担が不明瞭であるが故に、ストレスの発生要因となっているという記事がありました。
その中で気になったポイントが、下記になります。
・過大あるいは過小な仕事量を避ける
・仕事の役割や責任が明確であること
・仕事の意義が明確にされていること
私も働いていて常々感じていることではありますが、役割分担の質と量が不明瞭で、上記ポイントができていない場合が非常に多いです。
また、それによって、ストレスが多く発生しているのが、今の実態です。
例えば、仕事の量について、できるAさんには仕事が多く、できないBさんには仕事が少ない、という場合があります。
そのとき、AさんとBさんで待遇を比較したときに、Bさんのほうの待遇が良い場合、Aさんは納得できません。
結果、その職場から離れたくなったり、最終的にはその会社を辞めるという選択肢に繋がっていきます。
また、仕事の役割と責任について、部下の行っている仕事について、最終的に問題が無いかどうかの判断をするのが上司、という場合です。
しかし、上司が、その判断まで部下に丸投げするということが、私の経験上でもあります。
そのようなときの、上司の言い訳が、部下の将来や出世のため、という場合が大半です。
結果、最終判断を行い責任をとるという上司の存在は不要であり、部下の上司への不満は増す一方になります。
さらに、そもそも、その仕事自体を何のためにしているのかが、わからないという場合があります。
その職場に新参者が入ってきたときに、古参者に、何故、その仕事をしているのかを聞いたときに、たいがいの古参者は、昔からやっているからという、不明瞭な回答をすることがあります。
新参者からすると、ただ、昔からやっている作業をやらされているという感覚を持ち、不満に繋がることになります。
以上のように、役割分担の曖昧さが、働く弱者の層に不満という形で蓄積していき、最終的には爆発することになります。
また、その役割分担の曖昧さが、さらなる無駄を生み出します。
その一つが、他人の課題に首を突っ込むこと、です。
私のかつての先輩社員にも、自分の存在をアピールするという目的のため、他人の課題に首を突っ込むということをしている人がいました。
首を突っ込むだけ突っ込んで、それでいて解決するわけでもないので、首を突っ込まれて相手をする側からすると、迷惑以外の何物でもありません。
また、それを後任であった私に暗に強制されるのは、不愉快でしかありませんでした。
その先輩社員はよっぽど暇であったからこそ、そこまでする余裕があったのだと思います。
しかし、そこまでアピールしたところで、大して得るものはなく、虚しいだけです。
また、もう一つの無駄として、メールの配信、です。
仕事をしていると、当たり前に使用しているツールがメールです。
このメールを配信する際に、役割分担が不明瞭で共有されていないが故に、自分には関係の無い内容のメールや、ご参考と記載されたメールが飛んでくることがあります。
そのようなメールを目に入れること自体が、私の感覚からすると、目に毒を入れたような気分になります。
そのため、そのようなメールは、秒で削除するようにしています。
そのメールを受け取った私が何ら発展性をもたらすものではないため、結局、関わるだけ無駄以外の何物でもありません。
では何故、そこまで役割分担が不明瞭なままになってしまうのでしょうか?
結局は、責任を追求されないようにするため、です。
役割分担が明確になってしまうと、これまで、責任逃れをしてきた人が、逃れることができなくなるからです。
特に、上流階級や上級国民と言われる人が、それに該当します。
つまり、役割が明確になったときに、その役割を果たす能力が無いわけです。
結果、役割を果たす能力が無ければ、当然のように責任を取らされることになります。
要は、責任を取らないで、役割からくる甘い蜜を吸いたいだけなわけです。
政治家などはわかりやすい例であるかと思います。
彼らは大した役割をこなすことはできません。
それでいて、責任を追求されたときには、曖昧な回答しかしません。
イタリア人記者:
— 眞海🇺🇸🇯🇵🇰🇷 (@maumi11) April 7, 2020
収集つかずに失態となった場合に責任はとるのか?
安倍日本国首相:
最悪の事態になったからといって責任を取ればいいというものではない。(緊急事態宣言会見で)
クオモニューヨーク州知事:
全ての責任は私にある。何か問題が起こったら私が責任を取る。(毎日行われている会見で)
根本的に必要のない職業であるとしか思えません。
このような世の中の状況に対し、RAPTブログの有料記事では、人にはそれぞれに役割があるという記事があります。
記事の中では、私たち人間は各自にそれぞれ与えられた役割、つまり主の御心と使命をきちんと見付け出していかなければなりません、と掲載されています。
この世の中で与えられた、無駄な役割に注力するよりも、
自分の役割、御心と使命を見付け出し、
それを実行していくことが、大切なことです。