高校卒業後

このブログを始める前に、著者のこれまでの人生について、ご紹介します。

 

私は、高校を卒業し、人生において、社会のレールに乗らない状況を初めて経験しました。

 

幼稚園、小学校、中学校、高校と、社会で設定された教育のレールを進んできたわけですが、そのようなレールが、受験失敗という出来事により、無くなってしまったわけです。

 

高校在学中の当時は、周囲が大学や専門学校へ進学したり、就職したりと決まっていく中で、何も決まらない自分一人が社会から取り残されていく、そのような感覚でした。

 

そして、進路も決まらず、浪人生活に入っていったわけですが、その時に初めて、自分がいかに社会を、世の中を知らずに生きていたのか、ということを実感しました。

 

テレビをつければ、政治家のお金や天下りの問題、それに対してコメンテーターが怒り心頭のコメント。。

 

自分が高校まで何も知らずに生きてきた世の中がここまで腐っているということに、憤っては怒りを感じていました。

 

そして、同時に、自分には何ができるのだろう?と、初めて考えることをしたのです。

 

しかし、考えたところで、何も出てきませんでした。

 

何より、高校までの教育の中で、自分が何かを考えて、何か行動を起こしてきたことが無かったから。

 

テストの問題を解いて、満点を目指し、合格ラインをクリアするために、受動的に教育を受けてきただけだったから。

 

(今、思うと、学校教育って、全員右に倣えの、軍人教育だったのではないかと思っています。)

 

そのように、テレビを見ては、怒りを蓄積する日々を過ごし、浪人生活1年目を過ごしていました。

 

怒りが理由、ではなく、単に自分の努力不足が理由ですが、浪人生活1年目での受験も敢え無く失敗し、浪人生活2年目に突入してしまいました。

 

浪人生活2年目ともなると、実家に住む浪人生の身分では肩身が狭く、初めてのアルバイトをしました。

 

特に親からあれしろこれしろと言われたわけではありませんが、何となく自分自身への社会との距離感、劣等感を感じてしまっていたのかもしれません。

 

受験の浪人生活を1年しても、相変わらず、勉強すること以外に、何か考えることや行動することができないため、出来ることといえば、ひとまず行動を起こすこと、それくらいでした。

 

そこで、ウェイターのアルバイトをしたのですが、自分よりも同年代以上の集団との関わりが初めてでした。

 

当時、ウェイターは私とマネージャーだけが男性で、他は全員女性のウェイトレスという、今、思うと何故そこで働いていたのかと思います。

(考えていないから、何故に対する答えが無いのでしょうが。。)

 

そこで働いている方々は、在学中の学費稼ぎや、自分と同じような進学を目指す間のお小遣い稼ぎ、生活費を稼ぐ等、目的は人によって様々ですが、皆、目的を持って働いていました。

 

そして、初めて自分が働いたことによって得たお給料。

 

実家に住んでいたこともあって、無くてはならないお金ではないですが、親にはもうお小遣いいらないよと、言ったのを覚えています。

 

浪人生のよくわからないプライドなのか、自分は社会とつながっていることを主張したかったのかもしれません。

 

ウェイターのアルバイトを半年ほどして、浪人生活2年目の大学合格へ向けて、再度、勉強を再開しました。

 

ただ、大学に何しに行くのか?何のために大学へ行くのか?その目的がよくわからなくなってしまいました。

 

その時になって、漠然と浪人生活に突入し、漠然と勉強をし、アルバイトをしていたことに愕然としました。

 

結局、自分はそこまでの期間で何も成長しておらず、高校までの教育のレールを大学へのレールにただ繋げようとしていただけだったわけです。

 

そのようなモチベーションでは、今度こそはと意気込む気にもなれませんでしたが、親への申し訳ない気持ち、親からの大学進学の希望が勝手にあると思い込み、勉強を続けました。

 

その時、自分の将来に、明確な目的があり、自分の成すべきことがわかっていれば、親にこういうことがしたいから、自分はこうすると胸を張って言えたかもしれません。

 

結果、自分の成すべきことがわからないまま、今の社会システム上、大学に進学する以外、道はないと自分に言い聞かせ、稀に2週間ほど引きこもっては必死で勉強をしました。

 

年明けのセンター試験の頃には、体重が+13kgとなり、著者史上、最大重量を記録しました。

 

そのような日々を過ごしながらも、大学進学の目的があやふやであったためか、単に自分の努力不足のためか、1次試験は不合格の結果に。

 

その時、合格発表の電話での確認を、母親にしてもらったのですが、スピーカーからの残念ながらの音声が聞こえたときに、母親の前で泣きました。

 

あー自分って、やっぱり社会から必要とされていないんだなーと。

 

とは言え、それまで勉強してきたことがそのまま諦めたら無駄になると思い、昼の部と夜の部の2次試験に挑みました。

 

結果、夜の部のほうを合格しました。

 

希望は昼の部ではありましたが、合格したことで、やっとこの浪人生活をいう、スパイラルから脱出できることに歓喜しました。

 

高校卒業後の浪人生活2年は、まさに自分にとっては人生初の試練でした。

 

(今、思うと、神様からの試練だったのではと思います。)

 

それまでの人生のレールから落とされ、考えること、世の中を知ること、目的を明確にすること、を教えられたように思います。