大学入学、卒業

晴れて、高校のレールから、大学へのレールが新たに自分の人生のレールとして敷かれました。

 

高校までは理系でいながら、大学では得意科目による入学のしやすさから、文系を選択しました。

 

法学、心理学、経済原論、社会学、ゼミでは人間関係等、幅広く学びましたが、今日に至るまで、何か役に立ったと思えるものは、正直、何一つありません。

 

1回生、2回生、3回生、4回生と、結局は高校からの延長線でしかありませんでした。

 

特に私の場合は、夜の部に入学したため、授業の始まりが18時前から、終わりが20時過ぎであったため、午前、午後は空いていました。

 

2浪もしていると、同じ1回生でも2歳年下、3回生とは同級生みたいな設定を嫌気し、サークルにも入らないでいました。

 

今、思うと、プライドと劣等感の塊だなーと思います。

 

1回生のときに、浪人生時代の同級生から、一緒にアルバイトをしようという話になり、棚卸のアルバイト面接を受け、二人とも合格しました。

 

二人とも同じシフトが入っており、大学の授業の開始が同じときは、午前から行動を共にしていました。

 

そのような日々を過ごしている中で、私が棚卸会社の社員とトラブルが発生しました。

 

通常、棚卸データは社員がデータをアップロードするのですが、とある時、私とシフトに入っていたアルバイトのほうから、データアップロードしようと言われました。

 

何の考えも持たず、言われるがまま、データをアップロードした後、それを後から社員の方に追求され、激怒されました。

 

社員の方からすると、いちアルバイトが越権行為を働いたと思われても、確かに仕方のない行為であったかと思います。

 

あまりに激怒された私は肩身が狭くなり、アルバイトを辞めました。

 

(その何年後かに、浪人生時代の同級生アルバイトから、他のアルバイトから言われてデータアップロードしたと言えば良かったのにと言われましたが、まー後の祭りですね。。)

 

そもそも、お金が欲しかったわけでもなく、ただ、仲の良かったお友達と楽しくアルバイトが出来れば良いくらいの認識でしたので、辞めるときにも特に抵抗はありませんでした。

 

その後、次のアルバイトを探し面接を受けて、一日で辞めては面接を受け、また辞めては面接を受ける日々を繰り返し、結局、アルバイト自体をしなくなりました。

 

(とある牛丼チェーンを一日で辞めたときは、お給料の代わりに調理時のエプロンを頂き、母親が何故か着けて喜んでいたことを思い出します)

 

2回生の頃は、かつて親が希望していたこともあり、当時は安定感のイメージが強く、公務員になりたいと思い、予備校に通うようになりました。

 

しかし、結局、目的意識も不明確で、何を成すために公務員になるのかの考え方も曖昧で、当然のようにモチベーションも上がることなく、敢え無く断念しました。

 

本当に、2年の浪人生活で何を学んだんだと、同じことを繰り返し、情けないですし、そのような大事なことを教えて頂いた、神様に申し訳ないです。

 

また、浪人時代の予備校代、大学の学費、公務員の予備校代と、親に多くのお金を払ってもらっていた点も、本当に申し訳なく、情けない気持ちでいっぱいです。

 

その後、3回生の1月頃から、就職活動を開始しました。

 

メーカー、銀行、商社、保険会社、ベンチャー、大企業、中小企業等、今しか機会がないと思い、全部で100社以上は回りました。

 

いつ、どの企業の一次面接、筆記、二次面接、最終面接と、スケジュール帳がいっぱいに埋め尽くされ、充実していたように思います。

 

最終的には、大学のほうに就職斡旋のあった企業の人事担当者の印象と相性が良かったと感じ、一次面接はたどたどしく質問に対する回答ではない回答をしながらも、二次面接、最終面接と駒を進め、内定を得ました。

 

無事、就職先が決定し、あと9ヶ月で卒業を迎えるまでにきていました。

 

単位は充分に足りていたこともあり、4回生になってからは、ほとんど大学へ通うこともなく、就職活動を終えた夏以降は、家にいる日々が続いていました。

 

そんなある日、母親が、お父さんが必死に働いて授業料を支払っているのに、何も思わないのか?と言われました。

 

その時の自分は、いや、単位足りてるからと思っていたのですが、母親の言うことが、自分の芯に刺さったような気がして、何も言えませんでした。

 

結局、自分は高校を卒業し、2年浪人し、大学4年目の、24歳にして初めて、ただの親のすねかじりであることを認識しました。

 

自分は自分の力で、社会、この世の中に立っておらず、親に立たせてもらっていただけだったわけです。

 

また、そう感じると同時に、大学ってやっぱり、会社組織へのレールを敷くための、ツールでしかなく、学歴の高さで、良い頑丈なレールを敷けるのか否かでしかないんだなーと思いました。

 

この間でも、多くの経験(=苦痛)を伴い、考えること、目的意識を持つこと、越権行為をしないことを、改めての分も含めて学びました。

 

お金については、今から振り返ってみると、その恐ろしさと強大さ、そうであるが故の、欲深さというものを、その当時は知るよしもありませんでした。

 

むしろ、知りたくもありませんでしたが、今の社会のシステム上、避けては通れない仕組みとなっており、不可抗力であったと理解しています。

 

大学のレールの先につながっている、会社組織というレールが、お金を基準に成り立っており、それが、社会人になってからの自分を苦しめることになるわけです。