人生の道標

絶望から希望へ

原発事故

原発事故の発生当時、ちょうど私は関東方面へ転勤していました。

転勤して、1年足らずで、東日本大震災に直面しました、2011年3月11日14時46分のことです。

地震の発生直後は、家族に電話をしても回線が込み合い、何十分も繋がらないという状況が続きました。

会社でテレビを見てみると、東北地方を襲う津波の発生、その津波により原子力発電所(原発)が倒壊し、交通インフラのストップのニュースが報じられました。

その直後、会社の工場長や総務担当を中心に、その日の従業員の帰宅方法について、決定がなされていきました。

(工場から最寄りの駅までは、会社専用バスがありましたが、電車が動いていないため、駅に行っても帰ることができないからです。)

仕事を早めに切り上げ、私は私の自宅方面から工場に出勤している従業員の自家用車に乗せて頂きました。

しかし、道路は大渋滞で、車は全く進まずでした。

通常、1時間ほどの道のりが、4時間もかかってしまいました。

自宅の最寄りの道に降ろして頂き、そこからは10分ほど歩いて、自宅に帰りました。

自宅は特に大きな影響はなかったものの、テレビをつけて見てみると、東北地方の惨状が、さながら映画のワンシーンのような状況で、それが現実的に起きていることが信じられないようなものでした。

津波の影響で、家屋や建物は倒れ、焼け、車は流され、見るに見かねるほどの大惨事でした。

自宅のある自分はまだ良いほうで、自宅を失った方々はどのような思いをされているのかと思うと、胸が苦しくなりました。


時が経ち、2021年、

コロナ禍でありながらも、2020年に実現できなかった、東京オリンピックを開催する年です。

このオリンピック開催については、コロナ禍における開催ということで、国民の大半が反対ではあったものの、日本政府は強行したというのが実態です。

当時の菅首相は、東日本大震災からの復興を、世界に向けて発信するためにも、オリンピックを開催する必要があると、言われておりました。

しかし、実態はどうでしょうか?

とある、twitterの情報を見た時に愕然としました。

人として扱ってほしい、私たちは家畜じゃない、お金をばら撒けば良いというものではない。

東日本大震災における被災者の一部の方の主張です。

そのお金のばら撒きの目的は、被災者が元々住んでいた所に戻ることができるように支援するためのものです。

日本政府としては、復興をアピールするためには、被災者には戻ってもらいたいが、原発の影響を考えると、戻りたくても戻れないと思う被災者がいることも厳然たる事実です。

東京オリンピックでの、東日本大震災からの復興アピールというものが、現地の声を反映しておらず、復興しているように見せることを、被災者に押しつけているわけです。

サラリーマンも似たようなものだなー、と思いました。

会社は、従業員に給料というお金を支払う対価として、労働や我慢を強いる、所謂、社畜ですから。


但し、この原発の話ですが、RAPT理論を読んでから見ると、別の側面が見えてきます。

RAPT理論では、原発そのものが存在しないと主張しているからです。

そのように考えると、日本政府、被災者の言動のズレの理由がはっきりします。

日本政府は原発が無いことを知っている、知っているからこそ、原発周辺の地域は安全で、被災者に元々住んでいたところに戻るよう促したり、風評被害にあっている農作物や水産物が安全であることをアピールするわけです。

しかし、原発があるものと認識している被災者は、原発が危険であるため、いくらお金を積まれても、自分達の健康を守るためには、戻れない、しかし、生活がかかっていることもあり、農作物や水産物をアピールすることはお願いしたいという考えになるわけです。

このようなズレの原因は、東日本大震災以前から、原発を、あるもの、として運営してきたことが始まりです。

結局は、何が嘘か、何が真実かがわからなくなっており、辻褄が合わない状況であるにも関わらず、収拾をつけようとするので、さらに収拾がつかなくなるという状態にあるということです。

一度、嘘をつくと、また、嘘をつき、その嘘を隠すために、さらに嘘をつく。

まさに、嘘のスパイラルから、逃れることができなくなってしまいます。

原発が無いのなら無いと認めることが、次のステップへのスタートラインを切ることに繋がるのだろうなと思います。

真実を白日の下に明らかにすることが大切です。

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