反撃の狼煙
救世主が現れるまでの、2年間は自分の人生において、最も波乱万丈に満ちた年月でした。
一言で言うなれば、無の境地、です。
最初の1年間は、Kさんともバチバチやり合う日々が続きました。
その後は、まともに相手をすること自体が無駄だと判断した2年目以降、
コミュニケーションは朝と帰りの挨拶と、必要最低限の業務の時のみ。
周りが雑談していても、心を殻に閉じ込め、関わりを遮断。
一日の中での会話が無い日々が、何日と続いたこともありました。
明らかに理不尽なことをされても、自分を押し殺し、自分を偽る仮面をつけて歩み寄る。
飲み会などは部署やフロアーであっても、常に欠席。
結局、会社組織では、頼りになるのは自分だけ。
家族のために、お金を稼ぐ。
それ以上でも以下でもない。
企業戦士とは名ばかりの、社畜奴隷ロボットそのものです。
自分自身で何かやりたいことがあるわけでもなく、それでも、会社に行かなければならない、それが、ただただ、辛い。
何故、自分がこのような目に遭わなければならないのか?
一瞬、沸き起こる思考も、ロボットになっては、無思考になり、進展の無いまま、2年が過ぎ去りました。
そんなとある時、本社部門より1名、自分の部署への異動の内示が出ました。
自分は少し知っている程度の人で、自分より1年上の先輩社員でした。
1ヵ月後、その先輩社員(仮称:Sさん)が転勤で異動してきました。
異動してきて、一週間と経たないうちに、Sさんは、Kさんに対し、敵意を抱くようになりました。
当たり前のように遅刻、席を立ったかと思いきや2時間以上も戻ってこない、席に戻ったかと思いきや回転椅子で回っている始末。
そのような光景を日々見ていたSさんは、堪忍袋の緒が切れたように、私の背中を叩き、ちょっといい?と、給湯室へ呼び出しました。
あいつは一体何?ありえない、と怒り心頭でした。
それを言われた瞬間、自分の中の深く深く押し込めていた思いが、呼び起されてきました。
いくら自分がそのように思っても、周りで誰もそのように感じる人がおらず、そのように考える自分が悪いかのような、見えない圧力を感じていました。
その圧力を受け、押し込められていた自分の正直な思いが、その瞬間、解放されました。
覚醒の時です。
その時以降、Sさんとこれまでにあったすべてのことを共有しました。
そして、Sさんは、会社の窓口へ通報しよう、そう提案してきました。
明らかにKさんの言動は、常軌を逸しており、その言動を見て見ぬふりすること自体も、責任を問われかねないほどのものだったわけです。
その提案を受け、自分なりに検討はするものの、そのときは行動を伴うことはありませんでした。
その後、久々に部署内での歓迎会を開催したところ、SさんとKさんは、一切会話することはなく、その会を終えたところあたりから、明らかに、部署内のムードがさらに険悪になっていきました。
そのような時、Kさんから呼び出しを受けました。
Kさんは、Sさんはどんな感じ?きちんと仕事できてんの?Zさん、大変そうだから、Sさんのことで困っていると、健康管理室に相談したほうが良い、そういう内容でした。
あーそうか、なるほど、Kさんはこのようなやり口で、自分を精神科へ貶めるようなことをしたわけかと、合点がいきました。
その話を受けたときに、自分の中で、明確に悟りました。
この人は、悪魔だ、と。
一切の救いようがない、悪魔だ、と。
そのように判断してから、その後の動きは早くも決まりました。
通報制度の把握、通報窓口の確認、連絡手段の確認、役割分担、連絡内容の立案、精査、通報のタイミングについて、業務時間外で練りに練り上げていきました。
そのように策を練り上げる日々の中で、管理職試験が行われているとの情報が入ってきました。
先輩社員のHさんから、Kさんがその試験を受けており、近く最終試験があるとの情報を入手しました。
その情報を受け、Sさんは、Kさんが管理職になったら、もうどうしようもなくなると。
結果、その最終試験前に、通報のタイミングを設定し、実行しました。
その三日後、Kさんが本社に呼び出されることになりました。
本社に呼び出された後で、Kさんは、見たこともないような剣幕で、工場に出社してきました。
出社するやいなや、工場本部の役員室へ入室し、本社で起こったことを説明していたようです。
その役員は、個室に、工場の上役を集め、話し合いを行っていた様子でした。
その後、個室から出ていったKさんは、部署のほうを一瞥し、自席に着くことなく、工場内へ出ていきました。
私達が退社する時間になり、駅へ向かうバス待ちをしているところで、Kさんは自席に着いていました。
相当、Sさんと接触したくなかったのだと思います。
私達が取った行動により、工場本部に激震が走ることになり、工場本部全体が敵になったような思いでした。
かつて、一人で抱え込んでいた2年間の苦痛を経験し、忍耐力が遥かに鍛えられていたことが、その時は幸いしました。
しかも、他にもう一人いるだけで、千人力が万人力もなる、それほどの大きな力を感じていました。
その後、万人力は、さらなる力を得、さらに力を増していくことになります。