戦いの火蓋
入社4年目にして転勤し、27歳にして、初めての一人暮らしをすることになりました。
とは言え、朝食と夕食付きの会社の寮に住むことになったので、一人暮らしというより、会社半分自由半分、そんな生活でした。
27年間ありがとうございました、父親に告げ、寮まで荷物整理に同行してくれた、母親にも同じように告げ、新たな生活が始まりました。
(今でも、母親の、頑張れよーと言った場面が目に浮かんで、涙が出てきそうになります。。)
月末までに荷物整理を終え、月初からの勤務になります。
新しい職場は工場のため、最寄りの駅から会社専用のバスで、工場へ向かいます。
バスを降車し、目の前の事務棟に向かいました。
事務棟に向かうと、転勤者の受け入れを待つ、工場の総務担当と面会し、ロッカーと鍵を割当られ、作業着に着替えて、再度、事務棟へ向かいました。
事務は事務でも本社の事務系部門と異なり、工場という開放感もあり、月ほどの重力を感じることなく、足取りも軽やかです。
事務棟へ到着すると、自分の部署へ案内されました。
新たな部署の同僚は一人だけ来ていて、ご挨拶。
転勤の1ヶ月ほど前に、ご挨拶と寮の下見を兼ねて、出張していたので、2回目の対面となりました。
その後、同僚がまた一人と、マネージャーも出社され、ご挨拶をしました。
チャイムがなり、工場ならではの体操の時間になり、フロアーを退出しようとしたところ、ギリギリ滑り込んでくる同僚がもう一人いました。
(ここでは、仮称:Kさんとします)
そのKさんが、自分史上、最悪かつ最大に、自分を悩ませる存在になるとは、この時は露と知らずでした。
Kさんは、たった一人そのフロアーに残り、体操もせず、そのまま自席に座ったかと思いきや、パソコンをカタカタしていました。
体操を終え、全員がフロアに戻ると、Kさんがおもむろに立ち上がり、朝の朝礼が始まりました。
私の改めましてのご挨拶と、今後の動きについての説明がマネージャーからありました。
同僚のうち1名は、自分と入れ違いで経理部へ異動が決まっており、その方からの引継ぎを別の同僚が受け、その別の同僚からの引継ぎを自分が受けるという流れになっておりました。
(その引継ぎローテーションの中に、Kさんが入っていないことは、その時点で一切、疑問に思いませんでした。)
そのような日々を過ごしてから、三か月が経ち、経理部へ異動する人と私の歓送迎会が行われました。
午後18時半の開始で、1名が未だ来ていません、Kさんでした。
その後、5分経ち、10分経ちし、自分のほうから、もう始めますか?と言うと、経理部へ異動する人が、いや、あともうちょい待とうと言われました。
そして、また5分経ち、やっとKさんが来たかと思いきや、一切、悪びれる素振りもなく、着席しました。
えー普通そこは謝るとこでしょ?誰も何も言わないの?と思いつつ、新参者は取り敢えず、心の声を黙殺し、歓送迎会は終了しました。
解散し各々が帰宅の途につく中、経理部に異動する人も会社の寮に住んでいたので、自分と二人だけになりました。
会社の寮について、別れたときの最後の言葉が、大変やろけど頑張ってなーでした。
頑張ってのトーンが、もう自分は足を洗ったから、後はお好きにどーぞと言わんばかりに捉えられ、怪しげな雰囲気を醸し出していました。
この時の私の予感は、その後、モロに的中することになります。
同僚が一人異動になり、その席が空席のまま、時が過ぎたある日のこと、もう一人の同僚(先輩社員)とKさんが話をしていました。
すると、Kさんが、お前が言ってることは箱の中にあれもこれもぶっこんで、ガチャガチャやって箱の中から出してしゃべってるから、わけわかんねーんだよー、と。
言われている先輩社員は、頑張って説明をしようとしておりましたが、Kさんは既に怒り心頭で一切、聞く耳を持っていません。
挙句、Kさんは席をガタンと立ち上がり、その場から居なくなってしまいました。
そのような光景の後に、呆然としている先輩社員にかける言葉もぱっと思い当たらずでしたが、あの言い方は無いっすよねーと絞り出しました。
(今、改めて見ても、パワーハラスメント以外の何物でもないですよね。)
しかし、この光景は、その後もデジャヴのように繰り返され、先輩社員の神経は磨り減る一方で、自分自身が目の当たりにする機会も減らず、自分自身もあたかも言われているかのような精神状態になっていきました。
どんどん精神が蝕まれていきます。。
そのような日々が半年ほど続き、先輩社員が製造部門へ異動になるとの話が出てきました。
その先輩社員も元々は経理部にいた人でしたが、製造部門にいくというローテーションはこれまでの実績では無かったものでした。
後で知った話、そのKさんがマネージャーに、その先輩社員は駄目だと、製造に自分が知っている人がいるから、その人を自分の後任にするために、トレードしてくれと打診していたとのことです。
それを受け入れるマネージャーもマネージャーですが、打診するKさんもKさんだと思いました。
(ちなみにそのマネージャーは病気で、50代で亡くなられたというのは、何年も後の話です。)
しかも、その当時、Kさんと工場本部を担当する役員は濃厚な関係だったので、マネージャーだけではなく、担当役員にも口利きしていた可能性も十分にありました。
(当時、Kさんは、俺のバック(=背中)の役員が見えないのかなーと、言っていましたので)
結果、一年と経たずして、先輩社員2名がいなくなってしまいました。
そこから、Kさんと私の3年間の熾烈な戦いが始まりました。