社会人、転勤

大学を卒業し、晴れて社会人となりました。

 

入社した会社は、東証一部上場のとある化学メーカーです。

 

4月1日が初出社日で、初めましてのフレッシュな社会人一年目が、本社の一室に集まっていました。

 

入社式ということで、社長から恒例の有難いお言葉?を頂戴し、その日は役員の方々との懇親会で終了しました。

 

4月2日以降の3日間は、人事部から新入社員への研修になります。

 

社歌と経営理念をひたすら暗記し、発声しては一度のミスも許されず、完璧に発声できるまでは終われないという、負のループ。

 

(今、思うと、社歌や経営理念を暗記するってこと自体、洗脳っぽさを感じざるをえませんが。。)

 

また、前もってルールを設定しておき、そのルールに従ってのみ答えが導きだされるという、ルールへの意識づけ。

 

ルールをはみ出すものは、うちの社員に非ずと言わんばかりの圧力で、危機感を感じました。

 

横並び教育から社会に出た途端に、またさらなる横並び教育に唖然としました。

 

結局、これまでの教育は、企業・組織において働くため、労働するための労働教育だったわけです。

 

何も考えないで、ただ、言われた通りにする受け身教育の、ゴール地点に辿り着いたということになります。

 

その後、工場での研修もあり、入社してから3ヶ月後に、配属先の部署へ勤務することになりました。

 

7月1日の出社日に、一旦、人事部のフロアーへ行き、新入社員が一人、また一人とフロアーを出ては、本社の各部門へ配属されていきました。

 

私は経理部へ配属になり、同期と二人で、人事部のフロアーを出て、経理部のフロアーへ行きました。

 

経理部のフロアーに入った瞬間、その静寂。。

 

そこに何かがいる、、視線は感じるものの沈黙、、自分の呼吸が異様に浅く息苦しい、、心臓の音が異常に聞こえる。

 

フロアーのライトはついているが闇、一歩づつ、地を確認し歩いてはいるものの、一歩が重い、、グラビティ、月の重力。

 

今まで感じたことのない重圧を感じながらも、経理部長席まで何とか歩を進め、人事部の付添人に紹介され、ご挨拶をしました。

 

すると、その刹那、経理部長が重い腰を上げ、口を開きました。

 

えー、新入社員のAくんとZくんだ。

 

その瞬間、フロアーに入った瞬間の、視線の主達が、一斉に起立した。

 

その動き、まるで軍人そのもののようだった。

 

では、Aくんから自己紹介を、と経理部長に言われ、Aくんがまず、挨拶をしました。

 

その後、拍手喝采

 

自分の挨拶のタイミングはーと気にしながらも、何を言おうか、すでに頭は真っ白。

 

拍手が終わり、経理部長が何か言う雰囲気でもなかったので、そのまま、私が挨拶しました。

 

(二番目って、何かと間が取りにくいですよね。。)

 

えー新入社員のZです、宜しくお願いします。(あ、お願い致しますのほうが良かったか?!)

 

拍手喝采

 

Aくん、Zくんを席に案内して、メールの設定等必要な対応をするように、と経理部長が言われ、経理部長が着席されました。

 

その着席の瞬間、拍手喝采の主達が、一斉に着席。

 

(今、思うと、まさに、学校の労働教育、軍人教育の賜物だなーと思います)

 

その後は、教育係の方に部内でのルールの説明を受け、業務の引継ぎを受けては、担当の業務を繰り返し、会社と家を行き来する日々が続きました。

 

朝から晩までパソコンを見て、お昼ご飯は先輩社員と他愛のない会話で少しリラックス。

 

ただ、フロアーにいるときは、トイレに行くことすら座席を立ちにくい雰囲気、誰かが動いた雑音に紛れさせるように、自分の座席を立つ音を掻き消す。

 

動きたいときに動けない、人間だって動物だろ?うごくものと書いて動物だよ?と思いながらも動きにくい日々を過ごしました。

 

(今、思うと、主の皆さんは静物だったのではないかと思ってしまいます。)

 

異空間か異世界か、言葉として良い表現が見つからないような空間に来てしまった、そのような感覚です。

 

そのような、見えない動かない同調圧力を勝手に感じながらも、同僚との別れは突然やってきます。

 

教育係の方が転勤することになりました。

 

しかも、地方への転勤ということでした。

 

そういえば、就職活動中の面接時に全国転勤可能な総合職だと、お給料が高い分、転勤を拒否する権利も暗に無いような話を聞いた記憶がありました。

 

教育係から私への引継ぎが加速し、あれよあれよと言う間に、送別会を迎えました。

 

その教育係の人は泣いていました。

 

雰囲気は悪くとも、通いなれた職場が良いのは良いのだろうなーとは思いました。

 

と同時に、今、思うと、会社の職場という集団の中で、安穏として同調し、慣れた場にいる気楽さ心地よさ、というものが逆に恐ろしいものだと思います。

 

気楽さ、心地よさを維持するために、自分自身の意思を捨てる、思考を捨てる、考えなくなるということが、所謂、アイデンティティーを崩壊させていくことになる。

 

そう考えると、組織、集団というシステムは、奴隷化・従属化を狙ったシステムであると認識され、本当に恐ろしいものだと思います。

 

幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、会社・組織という個々のレールが、一本のレールでつながったような気がしました。

 

しかも、会社・組織から伸びているレールは、幼稚園から大学のレールの倍近く、人生のおよそ4割を占めています。

 

人生の4割を奴隷化・従属化のシステムの中で、そこに慣れてしまったら、人生における本当の幸せが何なのか、4割を過ぎてしまったら、それこそ、幸せを追い求める時間が無くなるのではないだろうか?

 

そうこうしている内に、私が転勤する時が訪れた。。