今回は筆者の人生の分岐点となった高校時代から社会人を経て、RAPTブログに出会い、会社を辞め、今に至るまでの生活について記事にしたいと思います。
高校時代、初めて進路について悩みました。大学進学、
そもそも自分は何故悩んでいるのか。自分は何故生きているのか。
その時、
テレビを見ました。
自分の行くべき道はどこか、2年考えました。しかし、
とにかく前に進まなければならないと思いました。
大学に入学しました。アルバイトをしていましたが辞めました。
学校に行って勉強していれば安心なのかと。
新卒で会社に入社しました。新しい出会いがありました。失敗しない奴は信用しないと言われ、挑戦することが喜びとなりました。改善することが喜びとなりました。
転勤をしました。パワハラを目撃しました。パワハラを受けました。パワハラと戦いました。会社に訴えました。しかし、取り合ってもらえませんでした。会社にも正義はありませんでした。訴えた側が悪であるかのように言われました。会社全体が敵に見えました。それでも戦い続けました。耐え忍びました。すると味方が次々と現れました。最後に勝利しました。しかし、虚無でした。
異動をしました。現場で働きました。正社員と派遣社員、正社員同士の争いがありました。仕事の押し付け合いがありました。自分は悪くないと、一人ひとりが自分中心でした。あくまでも表面的な関わりでしかありませんでした。身体が痛みました。上司に訴えました。上司はその訴えを退けました。それでもやれと。上司に不満を持ちました。
派遣社員と働きました。彼は霊波之光の信者でした。彼は不幸そうでした。彼は職場で叩かれていました。彼は周りに何の危害も加えていないのに。誰もやりたくない仕事を一手に引き受けていたのに。宗教の信者という理由で叩かれていました。それは宗教=悪という洗脳でした。宗教は悪だから叩いていい。それは正義と偽った悪でした。
現場で一生懸命働きました。先輩社員に愚痴りました。先輩社員も愚痴ってきました。また、別の日に同じように愚痴りました。すると、そういうの良いからと。一蹴されました。嘲笑われました。態度が急変しました。彼は上司に媚びていました。二枚舌だなと思いました。信用できないと思いました。同僚への不満を持ちました。
別の現場へ行きました。契約社員と働きました。待遇に不満を持っている様子でした。正社員になれる話で来たのに、なれないと不満をこぼしていました。上司がチャンスを与えました。試験を受けるチャンスを与えました。どうせ無理だと思うけどと言いながらチャンスを与えました。試験は大卒レベルの試験でした。彼は中卒でした。彼は泣いていました。長年勤めてきてこんな扱いかと。そんな彼を見て心が痛みました。自分には何もできないと。自分は無力だと。上司への不満が募りました。
別の職場へ異動しました。入社15年以上の高卒の正社員と働きました。彼は上司の勧めで職掌転換し給料が下がりました。大卒入社3年目の給料しか貰っていませんでした。それでも彼は一生懸命働いていました。その上司は言っていました。世の中不平等だと。他人事のように語る姿に腹が立ちました。不平等を自分で変えることもせず、部下に押し付けているだけだと思いました。
月日を重ねるにつれ、同期や同僚が出世していく中で、上司の目や評価を気にするようになりました。アピールしました。自分に嘘をついていると思いました。虚しくなりました。自分に嘘をつくのが嫌でした。馬鹿馬鹿しいと思いました。媚びるのが馬鹿馬鹿しいと思いました。アピールを止めました。
周りから求められることが増えました。それまで以上に一生懸命働きました。藻掻いていました。燻ぶっていました。やってもやっても報われない日々が続きました。自分は何故頑張っているのだろうか?誰のために努力しているのだろうか?家族のため?親のため?上司のため?同僚のため?会社のため?努力してもただつらい。いつしか働くことに喜びを感じることができなくなっていました。
遠くで勤務する同僚の結婚式がありました。上司は部下の結婚式に参加するため、会社経費で前日入りしました。会社を私利私欲のように利用していました。裏で情報が回っていることも彼らは露知らず。私利私欲に塗れた上司への信頼は、地に落ちました。
肉体的にも精神的にも限界に差し掛かっていました。答えの出ない日々に倦み疲れました。同じ日々の繰り返しに飽き飽きしていました。会社の歯車であることに嫌気がさしてきました。日が変わるまで残業をしました。日の光が差し込む時間まで愚痴りました。夜が明けました。
かつて生きた証を残したいと同僚と語っていました。しかし、中身がありませんでした。他人より秀でた実力がありませんでした。学生生活と同じように、ただ徒に会社生活が過ぎただけでした。俗に塗れただけでした。生きた証を残すなんてダサいと腐りかけていました。自分の人生はこの程度で終わりなのかと諦めかけていました。闇の中にいました。限界の限界を超えました。
新卒で入った会社を辞めました。希望を求めていました。自分の人生、まだ諦めたくないと。新天地に活路を見出そうとしました。そして転職しました。答えを探していました。自分が本当に生きる道を、生きる意味を。何のために自分は生きているのかと。そして奇跡的に出会いました、RAPTブログに。その言葉に。真理という言葉に初めて出会いました。
RAPTブログの御言葉が、自分の中にあるものと結びつきました。真っ直ぐに生きていいんだと。これが自分が求めていた答えだと腑に落ちました。自分の中にストンっと芯が通りました。筋が通りました。全身に力が漲りました。自分の霊魂が息を吹き返しました。生きる道がわかりました。生きる意味がわかりました。
会社で働きながら御言葉を学びました。神様のことがわかってきました。神様が御心を成してほしいことを知りました。神様が世の会社を辞めてでも御心を成してほしいことを知りました。御心を成せば、神様が全てを保証して下さることを知りました。生きていても死んでもなお、神様が全てを保証して下さることを知りました。
会議に参加しました。他人のアピールを見ました。偉くもないのに偉そうに語る。凄くもないのに凄そうに語る。やってもないのにやったように語る。世の中のアピールを聞くのが耐えられませんでした。貴方は神様のように地球を創造できるのですか?と。人間を創造できるのですか?と。自分にはそんなことはできないと思いました。神様の前で遜りました。そして、会議に参加するのを止めました。
親戚に神様の話をしました。神がいるなら救ってみろと言われました。神様は高慢なものを敵とする。なので、救いようがないなと思いました。貴方は神様から救ってもらえるほどの人間なのか?と。神様にとって有益な人材なのか?と。ただ、自分が年上だからとか、ちょっと知識を持っているからとかで偉そうに語る。付き合うだけ馬鹿馬鹿しいなと思いました。
業務の応援に行きました。同僚から管理職の愚痴を聞きました。管理職からも同僚の愚痴を聞きました。管理職がその同僚を外したがっていることを知りました。自分を利用して、その同僚を外そうとしていることがわかりました。良い人だと思っていました。しかしそれは表面的なものでした。偽善でした。
結局どこの会社も同じようなものだと愕然としました。結局どこの人間も同じようなものだと失望しました。嘘に塗り固められた世界に疲れました。世の中どこも変わらないと絶望しました。
その中でRAPTさんが伝えてくださる神様の御言葉だけは何物にも代え難い希望でした。人間は時と場合によって変わる。でも神様は永遠不変。公正公義。地球を創造し、人間を創造し、人間よりも人間がわかっている存在。人間がどうすれば幸福になるかを人間以上にわかっている存在。神様のために生きたほうが良いと悟りました。そして転職した会社を辞めました。
職業訓練センターに車で通いました。明け方は毎朝欠かさず祈りました。行き帰りで賛美をしました。車で走る道を祈り求めました。訓練の合間に御言葉を聞きました。帰ってから聖書を読みました。職業訓練センターを途中で退所しました。就職しませんでした。変わらず信仰生活を続けました。
明け方にお祈りしていました。何をすれば良いか、
日々祈り求めました。何をすれば良いか、
時に迫害がありました。罵倒されました。馬鹿にされました。時に信仰がぐらつきました。自分は間違っているのではないかと。自分が何故こんな目に合わないといけないのかと。しかし、祈れば力が湧いてきました。自分は間違っていないと思いました。この道が自分の進むべき道だと思いました。忍耐力が欲しいと祈り求めました。モーセ以上の信仰心が欲しいと祈り求めました。自分に足りないもの全てが欲しいと祈り求めました。祈ると力を下さいました。熱い力が漲りました。慰められました。
それでも迫害は続きました。怒りました。喉が枯れるほど、怒り狂いました。人間など裁かれてしまえば良いと思いました。人間に救う価値などないと訴えました。堕落した人間を救う価値などないと訴えました。
それでも神様は…『救いたい』と…。
何千年も人類からそっぽ向かれているのに…。
自分はちっぽけな存在だと思いました。塵芥だと思いました。神様は偉大だと思いました。救うことが愛なのだとわかりました。神様の愛がある限り、幸福なのだとわかりました。
そして決心しました。御心を成そうと。神様が人類を創造した目的を成そうと。神様と人類が当たり前に愛を成す世界のために。この腐りきった世の中で、救われるべき人が一人も欠けることなく救われるように。自分は今日、何をすれば良いか、祈り求めました。
RAPT | RAPT有料記事818(2024年3月4日)この世の中は正しく生きても、損や不利益を被る世界だ。だからこそ、神様は私たちに祈りを教え、祈りの力を与えて、私たちが祈ることで全ての損や不利益を補填し、倍にして返すと約束して下さっている。
『神様は全てを与えて下さる。』
『神様には全てが可能。』
いつしかそれが当たり前になっていました。
かつてテレビで人間の脳はその全ての力を発揮しているわけでは
RAPT | RAPT有料記事783(2023年10月21日)神様を愛した分、私たちの心はますます愛に燃え、信仰が強くなり、感謝が爆発し、限界も次々と突破して、神様にどんどん近付くことができる。
また、会社で働いていた時は AIに仕事を奪われることに不安がありました。今はそれもありません。 AIが絶対に到達できない人間本来の力を100%
RAPT | RAPT有料記事671(2022年8月1日)御言葉は脳の栄養であり、聖霊は脳を動かす電力だ。だから、神様の御言葉を学んだ上で聖霊を豊かに受けるなら、神のような高い知能を得ることができる。
RAPTブログで伝えてくださっておりますように、世の中で一生懸命働いても得られるのは僅かなお金です。世のお金に執着して得られる恩恵はせいぜい100年ほどです。しかもそのお金は死んだら終わりです。天には持っていけません。しかし、神様の御心を成すことで得られる恩恵は永遠です。御心を成して生きることで天に富が積まれ、その富があることで死んでも幸福ですし、生きていても天から祝福され、
RAPT | RAPT有料記事855(2024年7月29日)地上でどんなに富を積んでも雀の涙ほどにしかならないが、天に富を積めば地球規模の莫大な祝福に包まれる。
これからますます多くの人々がRAPTブログに出会い、